自然感の衰え

  ようやく涼しい秋風が感じられるようになり
  そろそろ秋消毒の時期かと思います
  地域の田んぼは稲刈りを始め
  生米の良い香りで満たされています

 先週、山形にある出羽三山に登ってきました。千葉には古くから出羽信仰が根付いており、各地神社や寺に「湯殿山 羽黒山 月山」という石碑が多く見られるのはその名残です。出羽三山はいわゆる「修験道」「山伏」の霊場として有名ですが、この修験道についての説明を少し。。。


 日本には古来、自然に寄り添い崇め畏れた自然感(神道的自然観)があります。そこに仏教が伝来して、修行僧は身体を鍛え精神修行をする風習ができます。それらが合わさり、自然の中で精神的肉体的修行をする「修験道」が生まれました。そして修験道をする人達を「山伏」や「修験者」と呼ぶ様になりました。簡単に言うとそんな感じです。

以前からどんな世界なのか興味があり、この度行ってみる事にしました。

 面白いのが、「ーー神社」とうたいながらも建築は仏教的だったり、山伏の衣装も神主の烏帽子(神道的)を冠りながら、肩には袈裟(仏教的)が掛かっていたりする。

 なにはともあれ入山、一人で 月山山頂に向かったわけですが、丁度山伏修行の入山日と重なり、全国から集まった修行体験希望者が例の山伏衣装で盛大に入山をしていました。実は何も知らなかった私は、一応神職ですので場を穢してはいけないと思い、白装束(地元の祭で使ったもの)で登山していました。しかし山伏以外の登山客は普通に登山ウェア。。。。。え?と疑問に思っていると1人のオジさんに声をかけられた。

「本来はそういう格好で入山せなあかん山やわな、、おたく偉いわ」

その後も数名に声をかけられましたが、皆60過ぎのオジさんたち。内容も皆同じく白い装束に対する敬いの声でした。そう思ってもらえることに感謝しながら、また山伏体験や一般登山客の中にある「支配欲」のようなものが感じられてしまった。若い世代には理解しがたい自然観を私と60代の登山者が共有していた。

 自宅に帰り、久々に奉仕先神社の役員会議に参加すると、我が神社の氏子崇敬者の数は年々減っているという。地域人口は増える一方なのに。。その理由は2つあり、1つは日本人の自然観が今、崩壊しつつあるということ。もう1つは「なんでもござれ」と気ままにやってきた神社界側にも問題があるような気がする。

 双方 なかなか難しい問題である

青山元不動 白雲自去来
せいざんもとふどう はくうんおのずからきょらいす

「青山と白雲」の関係はそのまま
「霊山と登山客」「神社と住人」の関係である
山は動かないのが本分であり、雲は動くのが美しい
しかしお互いの存在を不可欠なものと認めている

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