霧雨で空気が煙っていた
その小屋は今でこそ使われぬ物置となっているが、先代の頃にはその建物が母屋だったという。ご主人もその小屋で産まれ、幼少期暮らしたそうだ。もう50年以上も昔の話だ。今は古びているが造りは頑強で、昔の農家の営みを偲ばせる、穏やかな千葉の環境の中でもしっかりとした厳しさを備えているのが、この時代の建築らしさだったりする。
雨を避けた小屋の軒下で竹を同じサイズに切り落とし、スポンジとタワシで汚れを軽く洗う。小1時間ほどのその繰り返しの単純作業の中で、うつらうつらという眠気に似た心地の良さを感じた。実際眠いのではなく、心根が安心している。誰もいない静まり返った中でも、森はいつもザワザワと話しかけてくるのだ。竹藪では竹が軋み、老竹がパキッと爆ぜたりする。樹木は葉を擦り、枯れ枝を自ら折り落としている。ブナ科の木々は豊かな潤いある香りの花を咲かせ、それを花びらと共に風が小屋の隅々まで運び込み満たす。
樹木各々の命が躍動しているのだ。
そんな世界の中で、少しの晴れ間が差せば鳥たちが行き交う。ウグイスは街で鳴くのをやめて山で鳴きはじめていた。コゲラとエナガの混成の群れが枝枝に停まりながら私の背後、左から右に流れていく。遠くではホトトギスが鳴いている。相変わらずのヒヨドリやムクドリもいる。ヒヨドリはなぜかいつもとは違った鳴き方で鳴いている様だった。
そして面白いのは近くにある動物公園のサルの遠吠えが交じり、さながらのジャングル感が出てしまう。。
やはり独りでの単純作業は楽しい時間なのだ
私は森を眺めてゆっくりしてるわけではなく
竹を拵えながらも深く森に吸い込まれて行く