梅雨ですから雨は当然降ります

         その中をどう過ごすかで植木屋の実力がわかる


 とか言うひともいます。雨だから軒下で明日の準備、仕込み、事務所仕事や整理整頓。出来る事をこなすひと。今日は休みだな、と家でゴロゴロしているひと。


 私は、、、そう、もちろん後者(恥。。)です。普段はどんな仕事でも一定の緊張感の中での作業が続いている。それは「良いモノをつくる」という絶対失敗できない緊張感だったり、怪我や事故からのリスク管理の緊張感だったりします。それは現場が一段落でもしない限りは夜の睡眠中も止まる事なく続くものです。しかし今日くらいの土砂ぶりの雨の音が聞こえるとその緊張感から開放され身体の芯からリラックスする時間が訪れ疲れが取れるのです。

 なんて言い訳を並べてみたり。。。

  話は変わりまして

 今は樹木剪定の良季ということで年間管理の剪定廻りをしています。10年を越える管理をしている庭では樹木の枝振りはかなり見事になってきていて毎度その樹々に足を掛けて登る度に嬉しくなります。「良い樹になってくれた」と。樹木からすれば、剪定作業というのはせっかく伸ばした枝を切られるわけだから、決して良い事ではない。しかし毎年切られてしまう枝を毎年伸ばし続けるほど樹木たちもバカではない。切られない枝を的確に教えてあげれば、年々と理解してくれる気がするのだ。それを毎年違う人が剪定して毎年違う枝を残されたら樹木もパニックになる。枝が荒れるのではないか。

 修行時代、親方が言っていた「俺の枝を切るな」と。親方がその樹と会話している。手なずけ始めている。そんな風に感じたものです。そして親方のような、一壁超えたレベルの方々はこの「樹木の手なずけ」を一瞬でやれてしまうのです。私の様に年月を費やさずに実にあっさりと。。例えるなら、動物を扱う仕事をしている動物園の飼育員や獣医師たちは一定の緊張感を持って動物たちと接している。その中でもやはり咬まれてしまったり吠えられてしまったりする。しかしその中でも「あの人はいつも吠えられない」「動物たちの懐に入り手なずけるのがはやい」という人がいるそうです。それに近いものだと思っています。動物はもちろん、植物だって生き物ですから意志を持つのです。


          そんなまだまだ未熟な私でも月日を重ねた良い枝をつくる事ができている
          出来損ないの飼育員でも一緒に成長してくれる庭の樹々に感謝が溢れます

 十数年前に大きなシダレモミジに出会った

 大木ではあったが その時苦しそうだと感じ

 のびのびと枝を伸ばしてあげようと思った


  今では

  涼やかな峰より落ちる白糸の滝のような あるいは雷雲から怒号とともに落ちる稲光のような

実に美しい空間を作り上げている。
しかしこの絶景を知っているのは私だけなのかもしれない。

そんな、住人はそこまで意識はしていないかもしれないときがあります。

                     それは とてもさみしいことなのか
                     いや 贅沢なことなのかも知れない

                     こんな
                     人知を越えたところにある緊張感に
                     いつもワクワクしながらの作業です

                     雨の日現場に行って出会った絶景に
                     息を殺してシャッターを切っていた

              要するに本日は雨でも現場作業でした、、ということです。
                      晴耕雨読とは、まだまだ先の話ですな〜。

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