チャレンジ

もうすっかり立夏を過ぎていました。
「2021冬の庭蝉」なるLINEグループを作り、ひたすらに仕事の連絡事項や施工仕上がりを流したり、時には皆でキャンプファイヤーしたり、とチームプレーに徹した今年の冬。それは春を横目で感じながらもドカドカと押し流されるように見て見ぬフリをして夏を迎えるという。。。書き出しから忙しない言葉の羅列が今年の慌ただしさを表して自分でも可笑しくなります。。笑

アラ・ラ さつきヶ丘
江畑整形外科
タイニーベーカリー トイット

休まずよく働きぬきました。


それに加えて庭蝉住研究所のプロジェクトも少しずつだが進んでいるのです。これがまた予想通りではあるがまだまだの未完成。今まさに見るを極める時にいます。


仕事の仕方をいつも考えながら、時にゲームメイクをする様に、自分のビジネスに次の一手を打つことは人生の最高の遊びだと思っています。失敗したって人に迷惑をかける事がなければいい、という最低限のルールを守ればどこまでも自由なのだ。

5月の渓流では、いよいよアマゴ達も命の充実を成しながら、食う食われるの自然界での全力プレーです。食べるモノは川が運んで来る。新鮮な虫は、ある時川上の枝から落ち、またはしがみ付いていた岩から滑り、水面にバタつきながらも流れるままに流れる。当然の事だが、それは川の流れの芯に集まり川下へ押し流される。アマゴ達はそれを見つけては捕食するわけだが、その川の芯にいつまでも居るわけではないのだ。彼らは力を温存するために少し脇の流れが緩やかなところの、且つ岩の下などの敵から見つかりにくい場所に居て、常に流れの芯を見据えているのだ。そしてエサが流れてくると芯に出ては捕食する。しかし、彼らにとっては川の芯に出ることは、敵に見つかる可能性の1番高い時でもあり、すぐに元の岩陰に戻る。


この瞬間

彼らの中で、自分が食べられてしまうという恐怖よりも、虫を食べるという興奮が勝つのだ。食べるとは生きること。生きるとは恐怖に勝つこと。そしてもちろん、巧みに勝ち続けたモノがチカラを付けて長生きしていく。チカラを付けたモノは筋力も集中力も高く、なかなか我々釣り人の針には掛からない。騙されないのだ。しかし未熟な私でも稀にそれをさらに上回る集中力を発揮して大モノを釣り上げる時もある。その時の感動は同時に命を頂くという興奮でもある。

このやりとりの中でいつも思う。

この命を賭けたアマゴ達の捕食行動は仕事場での考え方にも応用性があるのだ。怖がって捕食しなければ弱る一方で、アホみたいにチャレンジし過ぎても長生きはできない。ギリギリまで相手を見据えて見極めること。そして捕食できると分かれば最短で全力をだす。迷う事はない。またしかし、もし食らいついた相手がニセモノだった時には針にかかる事なく瞬時に口から吐き出す事で難を逃れる。そしてしばらくはチャレンジせずに周りの様子を伺って岩陰に潜むのかもしれない。


そう、
一度食らいついたそれが仮にも疑似餌だった場合
すぐにその場に吐き捨てればいいだけの事なのだ

今は例えそれが美味しそうに見えているとしても

庭蝉がこれからも頑強な場所であり続けるために

今 見るを極める

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