天災からその先に

  森がガレていた。木更津のお客様に呼ばれ館山道を南下していた道中、通り過ぎる森の葉全てが茶色がかって、幹はむき出しになり枝は折れてぶら下がっているものや電線に絡まっているものが沢山見えていた。9月9日の未明に関東に上陸した台風15号は房総半島南部に甚大な被害をもたらした。私が木更津に呼ばれたのも施工した木製アーチが傾いてしまったからだった。こんなガレた森を抜ける道路ではアクセルをしっかり踏み込めないでいる自分に気づく。物言わぬ樹木たちが悲鳴をあげているように思えてならないのだ。回復の速さを考えると荒れた森に一番に生命力をみせるのは竹だろう。こうしてまた竹に荒らされた森が一気に増加するのかもしれないなどとと考えていると気が滅入ってくる。竹だって立派な命であることは変わらないのに。

 神奈川県在住の先輩から珍しく連絡が来たかと思うと、上総の保育園からの倒木伐採依頼だった。写真を送ってもらうと、幹の直径が7〜80センチにはなろうかというスギの大木が隣の樹に大きくもたれ掛かっていた。保育園は9日以降今もまだ休園中だという。お役に立ちたい思いだけでは仕方ないのだが、実際役に立てる規模ではなかった。お詫びの電話をしながら空しい気持ちが付いてまわった。

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 災害と言ってしまえばそれまでではありますが、いにしえびと達はこんな時に祭事を行い逆らうことなく受け流してきました。この日本は元来気候に左右されながら、その猛威や恵みに畏れ敬い寄り添ってきた歴史があります。台風が去る、という発想は近代になってからです。中世以前、天災は祟りや天の怒り。もし日頃の行いに少しでも罪悪感があるのならば、それを謝罪し改める。どうしようもない事であれば、お祭り事をしてケガレを払う。そんなことで気持ちの整理をしてきました。中世以前は言わずとしれた精神文化社会なのです。だから災害が来る度に人々は心を清め続けてきた。自然が祟れば自分たちに非があると考えた。だから日本人は「心が澄んだ民族」であると言われてきたのです。しかし現代は文化文明が半ば暴走をしている状態で「気持ちを鎮める」ということが、防波堤をつくるとか、頑強な家に住むとか、、、これらは人知の範囲内だけでの鎮魂にほかならない。もっともっとこの世の中は大きなスケールで動いていることを感じる機会にしていけないのだろうか。


   私たち植木屋が今、最も危惧していること。


 それは「この樹は倒れたら危ないから切ってしまおう」「電線の近くの樹は根こそぎ全部切ってしまおう」「倒れると怖いから庭に樹を植えるのはやめよう」という発想が蔓延することです。これは私の作った庭だけでしか言えませんが、それは間違いです。過去に庭蝉で植えた樹木でその後私が定期的に剪定をしている樹木は一本も倒れませんでした。枝を抜いているので風が抜けるのと、枝先を柔らかく仕立てるので枝が薙ぐのです。支柱などほとんどしていない樹々なのです。もし支柱をしていたらそこから折れていたでしょう。枝の成長を抑えながら根の力でしっかり自立させる。そうすれば自然樹形の庭木は強いです。しかも私の勝手なイメージかも知れませんが、剪定は出来るだけその樹に足を掛けて、幹を掴んで登り枝先を落とすことで樹々はそれに耐えうる力をつけると思っています。彼らにだって絶対に意志があるのですから。

 残念ながら私の奉仕先の蘇我ヒメ神社でも倒木がありました。責任総代に呼ばれ神社に行ってみると境内裏のヒマラヤスギが傾いているのだ。そこで依頼を受け、内容的にはオーバーワークでありながらこのヒマラヤスギを伐採することに。。。普段たまに借りる12Mクラス(電柱の上程度)の高所作業車では半分も届かない。そこで27Mクラスの4t高所作業車を借りて作業をする。その伐採前に一度、樹木のてっぺんからの撮影をしました。見てください。

千葉市中央区から隣の市原市までが見渡せる絶景です。つまりここら一帯では断トツの高さを誇っていた樹木なのです。おそらく千葉市中央区で一番高さのある木だったことでしょう。しかしだからこその風害に遭ってしまった。この木があの日、必死に倒れまいと踏ん張っていたことを想うととてもとても胸が痛む。人間の身勝手な采配で、物言わぬ命が処理される。それが大切な神社の木であり、それを私の手で断つという事。私たち植木屋は木を植える事が本分でありながら、木を伐採する事も同じくらい多くある仕事です。そんな命を操作する罪深い仕事でありながらも、少しでも人々に植物や自然の良さを理解してもらいたいという想いは皆が持っています。

 そして上の写真を見てください。これは神社の反対側に振りかえり同じ高度から撮影したもの。近隣エリアは完全な住宅地に覆われて目立った緑はほとんどないのです。ほんの50年前までここは全くの田園風景が広がっていたエリアだったそうですが、今回の台風でこの唯一の緑地である蘇我ヒメ神社の古木たちが「危ない」というレッテルを付けられてしまった。。

 なんとかならないか。。

 作業を開始して伐採を進めながらも私自身は下で作業を見守る。近隣住民や地主の方々が集まってくる。そこで私の見解を正直に実直に皆に伝える事に専念した。今書いたことの他にも、これからの都市での鎮守の杜の在り方や有難さを伝え理解を深めた。実際に凄い剣幕で話しかけてきた地主の方も話し込むうちに徐々に神社の良さを語りだしてくれたり、昔話で盛り上がり、この神社でよく遊んだ話をしてくれたり。皆が神様という価値を否定しているワケではない。神社と近隣の新しい関わり方が生まれる時期なのだ。そういったところで落ち着いた。地域の唯一の誇れる高木古木群生地であるこの神社に関わる植木屋としての、身の引き締まる想いがしたのは言うまでもない。ただ森を深めていくだけではなくちゃんとした管理をすることにより地域住民にも被害のない森をつくる事が必要で、それは庭作りと同じ発想に起因するものです。

 そうしている間に作業員がヒマラヤスギの先端を切り詰めていく。気がつけば総代や地主が感慨に耽りながら伐採を見上げている。


この大きさの木に触れるというだけで私たちは何かしらの力をもらっている。


こんな杜があることを私たちは誇りに想いたい。

境内にある過去に被雷して曲がっているケヤキの巨木。
太古より日本では自然の猛威を目の当たりにすることがあったのだ。

異常気象とかそういうものの影響というよりも
我々の自然との向き合い方が変わってきている事の方が深刻だと思えるのだ。

最後に。。。。。深刻な内容に水をさすようになりますが、最後の巨木の写真。。。
これは実は対照的にミニマルな盆栽です。同時期にお客様から引き取った真柏(しんぱく)。
石着きの堂々たる存在感は写真で全く見劣りしませんよね。
ということで最後にヒッカケ写真でした(笑)

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